2014年5月3日土曜日

みる



なんだかもう1本見た気がしたけど、思い出せない



続▼洋画


「僕がいない場所」
2005年 監督: ドロタ・ケンジェルザヴスカ
       出演:ピョトル・ヤギェルスキ、アグニェシカ・ナゴジツカ





 国立孤児院に預けられているクンデル(ピョトル・ヤギェルスキ)は孤児院を抜け出し、実の母親の元へ。しかし、家で彼を待っていたのは男たちとの乱れた関係を続ける母の姿だった。そんな中、クンデルは裕福な家の子どもでありながらも、親に愛されない寂しさや美しい姉への劣等感を抱える少女クレツズカ(アグニェシカ・ナゴジツカ)と出会う。


何も言いたくない、見てほしい

言葉にしないで伝えるということの私の理想
本当に見てよかった






「100人の子供が列車を待っている」
1990年 監督 : イグナシオ・アグエロ



この作品のタイトルにある“列車"とは、映画史上、伝説となっているリュミエール兄弟のつくった『列車の到着』のことである。それは1895年、パリで映画が初めて上映された驚きの出来事であった。それから93年後、チリ、サンティアゴ郊外ロ・エルミーダに暮す子どもたちは、そのほとんどの子が映画をみたこともなかった。
彼らは貧しさゆえに一日一食しか食事ができない。この映画に登場するのは、そんな子どもたちと、彼らに映画というものを手づくりで教える女性教師の姿である。好奇心に溢れた子供たちは、瞳を輝かせて映画の誕生を体験し、実際にアニメーションをつくり、世界を発見する。完成後この映画はチリ当局により「21歳以下の者は観てはならない」とされた。この作品には観るものの心を限りなく自由にし、深い感銘を与えるパワーがあるからだ。当時の軍事政権はこの素晴らしく美しい映画をこそ、恐れたのだ。



予備校の人が見ていた作品
映画を知らない子供に映画を教える活動を追ったドキュメンタリーなんだけど、
いまちょうど同じことを習ってる自分と重なって面白かった
20歳だろうと6歳だろうと、きっと7、80歳だろうと、
初めて“動く”ことを見た先人たちもきっとこんな輝きを見たんだろう
個人的に親のインタビューがすきだったな




「ぼくは怖くない」
2003年 監督:ガブリエーレ・サルヴァトーレス
       出演:ジュゼッペ・クリスティアーノ、マッティーア・ディ・ピエッロ



1978年、記録的な猛暑に見舞われたイタリア。
麦畑に覆われた丘の只中にある、たった5軒の家からなる小さな村。
10歳のミケーレはある日、遊び場の廃屋で穴を発見する。
その穴の中には少年が1人、繋がれていた。
「あの子は誰?どうしてこんなところに閉じ込められてるの?」
あまりに恐ろしくて誰にも話せずにいるが、少年の事が気になり、頻繁に穴を訪れるようになる。
そんなある晩、大人たちの会話を盗み聞いてしまう。
やがて、この少年と関係のある恐ろしい“何か”に気付き始める。
それも大好きな両親を巻き込んで・・・。


登場する景色がこれまた美しい カラッとした太陽と黄金色の麦畑
奥へ奥へどこまでも続く黄金色に日本とイタリアの風土の違いを感じた
対比的に描かれる地上の麦畑と、地上のじめっとした暗い穴
それは、自分が知る大人たちの家族の、ひとの表面と、底知れぬ闇の対比のよう
子供の表情も決定的な表情っていうのが少なくていい
フィリッポの「ぼくは死んだんだ!」って叫ぶシーンが強烈に印象に残ってる
監督がいってた“恐怖”というテーマがどこかカラッと描かれているのは、
これがひと夏の出来事で、こどもの話で、どこかファンタジーチックだからなのかなと思った





「不完全なふたり」
2005年 監督:諏訪敦彦
       出演:ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、ブリュノ・トデスキーニ




 マリーとニコラは結婚15年になる夫婦。彼らは友人の結婚式に出席するために、リスボンからパリへやって来た。友人達からは、“理想のカップル”として見られている二人だったが、実は彼らは離婚することを決めているのだった。 二人は、パリ滞在の数日間にも、たびたび口論を繰り返す。一方、マリーはロダン美術館で、あたかも溶け合おうとする女と男を描いた彫像を見て、引きつけられる。
「私たち、何をしたの?」「何をしなかったの?」
後悔し、迷い、傷つけあいながら、失ってしまうことに気づいた時、初めて相手の存在をより大きく感じ始めるのだった・・・

この映画のすきなところは、ほとんどが1シーン1カットなところ
しかも、なんと決められた台本はなく、監督と演者で作り上げる即興だった
言葉のひとつひとつが綿密ではないかもしれないけど、長回しと精彩を欠く台詞、
別れを決めた夫婦の淡々とした感じを出すのにかなり効果的だった
ほとんど固定されたカメラの中で登場人物が自由に会話し動き回っている
音楽がほとんどない分、フレーム外から感じる環境音や、相手の声などが妙にリアル

別れという未来ともとれない先の見えない日に近づいていく二人、
そこに決定的な理由があるわけでもなく、どうしようもない気持ちだけが募るばかり
罵ることしかできないマリーが本当はニコラを愛しているのが悲しい
感情をぶつけてくるマリーと向き合わないで逃げるニコラ
どちらも不完全できっと普遍的な男と女 きっとこれからも変わることがないんだろう
でもラストの駅のシーン、ふたりの未来を期待してしまう終わりだと思っていいんだろうか

男と女、付き合うって、すきって、恋愛ってなんだろうと思い手にとった
普段こういう恋愛映画(というくくりにしていいのか分からない)は見ないけど、
見て、少しだけわかったような、わかんないような、でも良かった
愛しているだとかそういう台詞がないのもよかった そんな言葉はうそっぱちだから

あとこれは、日本人監督がつくったフランス映画です








おわり



言葉や文章の多さで愛を測るのは間違っているね





そして、また8時まで通うのさ

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